19.身代わり(1)

「バッカードは1時間ほど前に外出したそうだ。時々昼食後に1、2時間ほど町をぶらぶらするらしい。彼の家の前で待っていれば帰ってくる。」
プラニカの中でクルーレは言った。
「軍のプラニカは近づけないから、2ブロックほど離れた場所に停める。」
言葉通りにビルの谷間の目立たない場所にプラニカを停めたクルーレは、後部座席から黒いキャップ式の帽子をとりあげた。
「きみはとりあえずこれを被って。」
ちらりとクルーレを見たあと、ケイナは渡された帽子を被った。それを見てクルーレはため息をついた。
「帽子を被っても目立つな…。」
彼はつぶやいてプラニカから降りた。一緒に降りたケイナを手招きすると、クルーレは道路を横切って向かいのビルに入っていった。
「きみは軍人向きではないな。見た目が目立ち過ぎる。」
古いビルの奥のエレベーターに向かいながら苦笑まじりにクルーレは言った。
「レジーも別におれを軍人にしたかったわけじゃないと思うよ。」
クルーレのあとに続いてエレベーターに乗りながらケイナは言った。
「そんなことはない。司令官はずいぶんきみに期待していたぞ?」
クルーレは言ったがケイナはかすかに笑ってかぶりを振った。
「18歳の期限つきで?」
エレベーターがあがり始め、ふたりとも口をつぐんだ。
「レジーにもう一度会いたかったな…」
ケイナがつぶやいたので、クルーレは少し俯き加減の彼の横顔に目を向けた。
薄暗いエレベーターの中で帽子を被ったケイナの顔は鼻から下しか見えない。
「カート司令官もそうだったと思うよ。」
クルーレの言葉にケイナは彼に顔を向けた。
「きみが氷の下に閉じ込められたことを知ったとき、泣いておられた。…病室に行ったとき、声が聞こえた。」
ケイナは即座にクルーレから顔を背けた。クルーレはそれきり何も言わなかった。
エレベーターは10階部分で止まり、外に出るとすぐに何もないがらんとした大きな部屋になった。剥げかけた床材にジャンクフードの包み紙がいくつか落ちている。
対面の腰窓に座って外を見ていた若い男がふたりの姿を見つけて立ち上がって敬礼した。軍服を着ているから兵士なのだろう。
「ダフルはどうした?」
クルーレが歩み寄りながら言うと、彼は部屋の向こうを指差した。
「トイレです。」
その言葉が終わる前に隅の扉が開いて同じく軍服の若い兵士が出て来た。
クルーレの姿を見て慌てて敬礼をした。
「少し片付けろ。」
クルーレが床に散らばったジャンクフードの包み紙を見て顔をしかめたので、目の前の男が慌てて拾い集めた。
「誰かと思った…。めずらしいですね、お父さんがここに来るなんて。」
トイレから出て来たダフルと呼ばれた男がそう言いながら近づいてきた。
途端にクルーレが険しい顔をしたが、彼は笑って頭をかいただけだった。
「できそこないの息子だ。」
クルーレはケイナに言った。ケイナはダフルの顔を見た。
言われなければクルーレの息子とは思えないほど華奢で優しい面立ちだった。
「できそこない、です。」
ダフルは笑ってケイナの顔を見たあと、再びクルーレに顔を向けた。誰?という表情だ。
「ケイナだ。ケイナ・カート。」
クルーレが言うと、ダフルともうひとりの兵士が面白いほど背筋を伸ばしてぴしりと敬礼をした。
ケイナの名前を知っているというよりは、カートの名のほうに反応したようだ。
「おれ、こういうとき返礼するものなの?」
ケイナがささやいたので、クルーレは少し笑った。
「軍人じゃないんだからいいよ。」
彼はそう言って窓際に寄った。ケイナも同じように窓から外を見た。
「あそこがバッカードの家だ。」
クルーレは対面の2つほど先のビルを指差した。
ビルへの出入りがよくわかる。
ここはどうもそのためだけの場所のようだ。

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