16.声の記憶(1)

「セキュリティは2時間後に作動し始める。10秒ほど全社のコンピューターが停止するが、それはしかたがないな。『ホライズン』の研究棟、治療棟に影響が出ないぎりぎりの時間だ。」
ヨクが書類をめくりながら言った。
カインはうなずいてケイナに目を向けた。
頬杖をついて、考え込むような表情でソファに座っている。朝からずっとこのポーズだ。
「ウォーター・ガイド社から連絡があった。先だっての昼食会をこっちの都合でキャンセルしたからお詫びがしたいと。明後日、社長も一緒にどうかと言ってきてる。」
ヨクは書類をデスクの上に置きながら、カインの顔を覗きこんだ。
明後日には何かあっただろうか。
ティを呼び出そうとすると、彼女が部屋に入ってきたので、カインは手を止めた。
「昨日の報告書です。あさってまでに決済が欲しいと。それと…。」
ティは言いよどんだ。
「ドアーズ博士が連絡が欲しいとおっしゃってます。」
カインは顔をしかめるとこめかみを押さえた。
セレスのことを忘れていた。
「アシュアから連絡は?」
ヨクが尋ねたので、カインは首を振った。
「まだ、ない。」
もう、完全にパンクだ。手が回らない。
「セレスの様子はどんな感じなんだ?」
ヨクの言葉にカインは息を吐いた。
「たぶん、日常生活は大丈夫なんだろうと思う。リアがいないから不安なんだろう。」
「アシュアたちはいつ戻ってくるか分からないんだ。いっそ退院させたらどうだ。」
「えっ…。」
ヨクの言葉にカインは思わず声をあげた。ケイナもこちらを振り向いた。
「おれとティのいるフロアはまだ部屋がある。『ホライズン』にいるよりは、近いところで様子を見ることができるじゃないか。」
「それは…。」
ケイナに目を向けると、彼は戸惑ったように視線を逸らせた。
今、この状況でセレスを退院させるのがいいことなのか悪いことなのか、カインには判断がつかなかった。
新たな問題を起こしそうな気もする。
かといって、いつ戻るか分からないリアを待ってセレスを放置しておくわけにもいかない。
「日常生活に支障がないんなら、少し早いのかもしれんが、自立を促すという意味でこっちで引き取ってもいいんじゃないか?」
畳みかけるヨクにカインはやはり即答できなかった。
「わたしがセレスを見るわ、カインさん。」
ティが口を挟んだ。カインは思わず彼女の顔を見上げた。
「わたしの隣の部屋は空いています。同じビル内ならいつでも行けるし、逆に安心なんじゃない?」
「でも、迎えに行く人間がいない。」
カインがかぶりを振ると、ティはかすかに笑みを浮かべた。
「わたしとケイナで行くわ。ドアーズ博士に話して。わたし、今から部屋の用意をしてくるから。」
ケイナがうんざりしたような顔をして足を前に投げ出し、ソファの上で身をのけぞらせた。
『グリーン・アイズ』がそばに来る。それはケイナにとっても大きな不安だ。
「ケイナ。」
カインが声をかけると、ケイナはこちらに目を向けた。
「もう、どうしようもないよ。」
ケイナは目を逸らせたが、渋々うなずいた。
「ドアーズ博士に連絡をとる。」
カインはヨクとティを見て言った。
ティはうなずいて部屋を出て行った。

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