9.脱出(2)

「それで…ケイナの記憶は…。」
それを聞いて、アシュアは再び後ろをちらりと振り返った。
「ケイナ…そこにいるの?」
カインは尋ねた。
「ああ。でも、出ないって言い張るんだよ。それでな、本人が地球に帰りたいって言うからそろそろここも出ようかと思ってるんだ。もう日常生活にも不便はないくらいになったし。」
カインは緊張のあまりうっすらと浮かんだ鼻の頭の汗を手の甲で押さえて小刻みにうなずいた。
「カートに連絡をとるよ。…『ノマド』のほうで受け入れの準備はできているのか。」
「ああ、それは大丈夫。いつでもいいって言われた。」
「リィにはケイナに関する権限が今はない。たぶんカートから迎えが行くと思う。その連絡が来るまで待っていてくれ。」
アシュアはうなずいた。
「分かった。」
「そこを出るときの細かい指示はカートが出すだろうから、カートの指示が出たらそれに従うように。」
「了解。」
「アシュア。」
カインは一呼吸置いた。
「ケイナの記憶は。」
アシュアはそれを聞いてまた、ちらりと後ろを振り返った。
ケイナは全く画面に映らない。
こちらを向いたアシュアは申し訳なさそうな顔になった。
「カイン、あのな、ケイナの記憶、全部残ってるんだ。何も無くしてない。」
「…無くしてない…?」
カインはおうむ返しにつぶやいてアシュアを見つめた。
「本当はずっと前から分かってたんだ。でもケイナにおまえには言うなって言われて…。すまなかった。」
「ケイナらしい…。」
カインは顔をしかめた。
ケイナなりに、そういうことを伝えたら自分が『アライド』にまで飛んでくると考えていたのだろう。
ケイナは何も状況を知らないはずだが、本能的にそう判断したのかもしれない。
「ほんとに…すまなかったな。心配だっただろうに。」
アシュアの言葉に、カインはもういいよ、というように小さく笑みを浮かべてうなずいた。
「たぶん、カートからこっちにも連絡は来ると思うけれど、出発前にまた連絡をして欲しい。『ゼロ・ダリ』の準備もあるだろうから1日や2日はかかるだろう。当面必要なものはないか?」
アシュアはそれを聞いて視線を泳がせた。
「ん、ま、とりあえずいいと思う。必要なものがあればこっちで用意するよ。請求書回すからよろしくね。」
「分かった。」
カインは苦笑した。
ケイナはとうとう最後まで姿を見せなかった。
彼はどこまで動けるようになっているんだろう。
カインはアシュアの消えた画面を見つめて考えた。会えば分かることかもしれない。
ケイナに会える…。
カインは椅子の背にもたれかかってほっと安堵の息を漏らした。
途端に再び通信音が鳴って飛び上がった。
慌てて回路を開くと画面に映ったのは『ホライズン』のドアーズだった。
「ご子息、早朝に申し訳ない。」
彼はトレードマークの長いひげを揺らして言った。
「どうかしたんですか。」
カインは再び緊張状態に陥った。
「1時間ほど前に、セレス・クレイが目覚めたんです。」
やはり今度も画面を見つめたまま言葉が出なかった。
「脳波を見ていたんですが、ずっと覚醒の波形を示したまま安定していますので、そう判断しました。しばらくは体のサイクルを元に戻すために小刻みに睡眠と覚醒を繰り返すかもしれませんが、たぶん間違いないでしょう。」
「彼…いや、彼女は何か反応を示したんですか?」
カインはようやく声を出した。


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