1.予感(2)

「朝は何時から来ていたの?」
彼は目尻に深い笑い皺を刻みつけながら、デスクの対面からモニタ越しにカインの顔を覗き込んできた。
「今日は10時。」
カインは彼に目を向けず、モニタを見つめながら指先をキーボードに滑らせて答えた。
「めずらしい。」
ヨクは意外そうに目を丸くした。そして「ああ」というようにうなずいた。
「ティと一緒だったっけ?ゆうべは。そうじゃなきゃ、だいたいいつも7時くらいにはオフィスにいるよな。」
「食事をしただけだよ。そのあとは疲れたから家に帰った。」
変な想像をするな、というようにカインは彼をちらりと睨んで答えた。カインの特徴ある切れ長の目で睨みつけられるとたいがいの人間は少し身をこわばらせるが、ヨクはびくともしない。
「食事しただけで家に戻ったって?」
彼はあきれたように首を振った。少し白いものが混じる豊かな黒い髪がゆらゆらと揺れる。
「食事して家に戻った?疲れたから?男として最低だね、そりゃ。」
「疲れたのはティのほうだよ。」
カインは少しうっとうしそうに眉をひそめた。
「誰の作った会議資料のせいで彼女が苦労していたと思ってるんです?」
ヨクは首をかしげた。
「さあ?想像もつかないな。あの可愛い子を苛めるような男はこの世には存在しないと思う。」
笑いながらそう言ってデスクから離れると、ヨクは革張りのソファの上にどっかりと腰をおろした。
カインはそれをちらりと見て呆れたように小さく首を振った。
ヨクはカインが社長に就任したときからずっとそばでカインの補佐をしてくれている。
彼の父親も、そのまた父親もリィ・カンパニーに幹部として在籍していた。
いつも笑っているような黒い瞳と浅黒い肌、大柄でがっちりした体つきは、今もよくオフィスにやってくるカインにとっての大切な友人、アシュアの雰囲気によく似ている。
ヨクというのは漢字で「翼(つばさ)」と書くのだそうだ。
カインは漢字を使うことはないが、ヨクを見ている限りでは彼に合う翼は白い羽よりは鷹かコンドルのそれのような気がする、と思ったことがある。
勇壮で高いところから鋭く下界を見下ろす猛禽類。ヨクの黒い瞳は優しい光の奥にいつも厳しい色が隠れている。
彼はその険しさをあまり表に出すことはなかったが、カインは彼に絶大な信頼感と愛情を持っていた。
彼の発する言葉のひとつひとつは自分より遥かに先を見越したことであることがよくあるのだ。
そう、自分はまだあやふやな自分の能力に頼って判断してしまう。
父から譲り受けた「見える力」。

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